植物学の日
「日本の植物学の父」といわれた牧野富太郎の誕生日に因み、今日は「植物学の日」だ。
蔵書と言って良いのか・・・ 僕の数少ない蔵書の中に随分と年季の入った「牧野 日本植物図鑑 (昭和30年7月10日二十三版発行 改訂版)」がある。
(経年の劣化で素人の僕に確たる判断出来ないが、背表紙にはナメシ皮を使っているみたいだ。)
古書を集めるというような趣味はないが、いつの頃からかは定かではないが何年も前から気付けば突如として本棚にあり、年に数回だが何の気もなく手に取って眺めたりする。
第ニ図版
ならやへざくら
Prunus donarium Sieb. var. pubescens Makino
forma antiqua Makino
所謂里ざくら中ノ稀品ニシテ元来けやまざくらヨリ派生シ、實ニ我ガ櫻品中ノ上乗ナル者ナリ、而シテ其同系品ハ蓋シ或ハ東北地方ヲ以テ其中心ト爲ン乎哉ト思惟セリ (いばら科)
いばら科 第1312図
やまざくら
Prunus donarium Sieb.
var. spontanea Makino.
(=P. serrulata Lindl. var. spontanea Mak.)
我邦中部ヨリ以南九州屋久島ニ至ル山地ニ生ジ又往々栽植セラルル落葉喬木。幹ノ高サ7m内外ニ達シ、幹は直聳シテ分枝シ、樹皮ニ横理アリ、灰色又ハ暗褐灰白又ハ暗灰色ヲ呈シ、小枝ハ無毛ニシテ皮目散點ス。葉ハ有柄ニシテ互生シ倒卵形ニシテ葉頭長ク鋭尖ヲ成シ葉緑ニ針尖状ノ重尖鋸歯アリ、長サ10cm内外、葉片竝ニ葉柄ハ全然無毛ニシテ葉ノ上面ハ緑色、裏面ハ帯白淡緑色ナリ。葉柄ノ上部ニ通常ニ腺アリ。四月頃、花ハ通常赤褐色ノ新葉ト共ニ出デ、花軸ノ短キ繖形楾花序ヲ成シテ淡紅白色ノ有梗三五花ヲ着ク。花梗ハ細長ニシテ毛ナク基部ニ小苞ヲ具ヘ長サ2cm許。花軸ハ長サ凡2cm内外ニシテ基部ハ芽鱗ヲ以テ擁セラル。萼ハ五弁平開シ筒部ハ圓柱形ニシテ萼片ト共ニ毛ナシ。花瓣五弁平開シ各片凹頭ヲ有ス。多雄蕋、子房花柱ニ毛ナシ。花後小ナル球形ノ核果ヲ結ビ熟シテ紫黒色ト成リ多汁ナリ。和名山櫻ハ山ニ生ズルさくらノ意、さくらハ其語原判然セザレドモ中ニハ神代時分ノ歌謡中「さきくにさくらん、ほきくにさくらん」ノ語中ヨリ出シモノト謂フ説モアリ。漢名 櫻桃(誤用)
単なる紙製であり図鑑であるが、
牧野富太郎の「観察と描写」という・・・・これはまさに史学でもありドキュメンタリーでもある。この「作業」を一人の人間の仕業とし、僕自身と照り合わせてみたところで、
それはもう人としての僕の日常の振る舞いですら、何たる情けなさけない姿だろうと思わざるを得ない。
「観察」という行為は手間がかかり難しい行いだと思う。決して誰もが安易にその事は出来ないし、やりたがらない。「観察」という一種の体系には行った者しか分からぬ何某かの物事の実体や深層が観え、そこで個々の感受が成立するという経過と一段落があるのだと思う。




貴重ですね、宝物ですね。
投稿: 三上 | 2009年5月 9日 (土) 09時02分
実際のところ貴重だとか宝物だとかいう風には思った事がなく、そんな三上先生より頂戴したコメントより改めて 「どうなんだろうか?」とか「言われてみれば・・・・」と自問自答といったことは大袈裟ですが、そんな事を少し思ってみました。
スケッチなどはしませんが、時折、写真に撮る程度に「植物」は気になる存在ではあります。しかし僕は植物学というものは無学なものですから知識的に武装する事は出来ませんので、その昭和30年の内容を見てどうのこうのとは言えません。(笑) ただ、「辞書むとしては最新なものが良いに越したことはないのですが、やはりこれが「辞書」という事と、それからこの物質としての経年の「劣化」の何とも言えない心地よい風合い(質感)が、何か貴重感を懐かせるのかなと思います。また、そんな古さから珍品を思わせるのでしょう。この「牧野 日本植物図鑑」を開くのも年に数回ですし、それから植物の事について調べると言った明確な用途では使わずでして、そんな僕にとっては良い意味で逸脱した“健康的な読み物”の他なりませんので、これを誰かに獲られてしまうとちょっと困ります(笑)。
投稿: 横田 | 2009年5月 9日 (土) 19時40分
植物を観察し記録することが、とりもなおさず、人生の記録でもあった、「あなたに植物を愛しているとは言わせない」(笑い)という声が聞こえてくるような、そんな迫力が伝わってくる本ですね。手放す気になったら、ご一報を(笑)。
投稿: 三上 | 2009年5月10日 (日) 01時29分
絶対に三上先生のお手元あるほうが有効なのは重々に承知しております。(笑)
いつかお会いする機会があれば、その時にお持ちします。
投稿: 横田 | 2009年5月10日 (日) 07時16分