朝、八時もまだ廻っていない時間。
今日は暖かい。
一寸に日照りを意識すると、
途端にジリジリと肌に感じる。
それでいて朝だからなのか大して不快でもなく、寧ろ少し気持ちがよい位だ。
そんなものだから行楽ないし寄り道をと、米町公園に降りた。顔も洗っていない故、目クソを介した日の光が変に屈折し、やたらとそれが眼球に入り組み、歩く先からギラギラと目の前を瞬く。
袖で目蓋を擦り、目クソを拭い取る。
さうしながら灯台を真似た展望台の最上階を目指し階段を駆け上がる。
遠くに望む数隻の漁船と空に白く戯れるカモメとその鳴き声は、
まぎれもない港町のそれで、途端に理想と目の前の現描写は自意識の同じところで現れ、行く果てに何故かしら懐古的な気持ちを誘いし相俟った。
京都精華大学の創立40周年記念事業として、
同大学の名誉教授笠原芳光氏が吉本隆明氏にインタビューした
DVDが限定5000部で無償配布された。
『吉本隆明語る 思想を生きる』
そんな話を聞くや否や、早速に申し込み七月の頭くらいに届いた。
吉本隆明 - wikipedia
本当の事をいうと実際に吉本隆明がどういう功績を持ち、
どういう考えを持っているのか理解もなにも、霧の向こう状態である。
現にどういう人物か説明してみろ! と言われても上手く人に伝える事はできないだろう・・・・
そんな程度である・・・・・(笑) が、
それでもやはり“気になる人物”というのは否めない今日この頃ではある。
著書にしたって僕の関心どころで漱石の方が先立ち「夏目漱石を読む」の一冊しか読んでいない。
印象的だったのは、しかたない事なのだがやはり老いを感じさせる振る舞いであった。
終始に痰が絡んでいるのか、視聴する僕としては「お話」の内容よりも、
そちらがどうも気になり、幾度となく思わずこちらが咳払いしてしまう。(笑)
時折に咳き込む様は病人をも感じさせ、なんとも・・・・・
内容の事に触れるとインタヴューの終わり頃に同席した大学側スタッフの一人の質問に対し、
不乱に強く語る姿勢であった。
この時、気持ちの良い程に吉本隆明の本領が見えた。
「日本の植物学の父」といわれた牧野富太郎の誕生日に因み、今日は「植物学の日」だ。
蔵書と言って良いのか・・・ 僕の数少ない蔵書の中に随分と年季の入った「牧野 日本植物図鑑 (昭和30年7月10日二十三版発行 改訂版)」がある。
(経年の劣化で素人の僕に確たる判断出来ないが、背表紙にはナメシ皮を使っているみたいだ。)
古書を集めるというような趣味はないが、いつの頃からかは定かではないが何年も前から気付けば突如として本棚にあり、年に数回だが何の気もなく手に取って眺めたりする。
第ニ図版
ならやへざくら
Prunus donarium Sieb. var. pubescens Makino
forma antiqua Makino
所謂里ざくら中ノ稀品ニシテ元来けやまざくらヨリ派生シ、實ニ我ガ櫻品中ノ上乗ナル者ナリ、而シテ其同系品ハ蓋シ或ハ東北地方ヲ以テ其中心ト爲ン乎哉ト思惟セリ (いばら科)
いばら科 第1312図
やまざくら
Prunus donarium Sieb.
var. spontanea Makino.
(=P. serrulata Lindl. var. spontanea Mak.)
我邦中部ヨリ以南九州屋久島ニ至ル山地ニ生ジ又往々栽植セラルル落葉喬木。幹ノ高サ7m内外ニ達シ、幹は直聳シテ分枝シ、樹皮ニ横理アリ、灰色又ハ暗褐灰白又ハ暗灰色ヲ呈シ、小枝ハ無毛ニシテ皮目散點ス。葉ハ有柄ニシテ互生シ倒卵形ニシテ葉頭長ク鋭尖ヲ成シ葉緑ニ針尖状ノ重尖鋸歯アリ、長サ10cm内外、葉片竝ニ葉柄ハ全然無毛ニシテ葉ノ上面ハ緑色、裏面ハ帯白淡緑色ナリ。葉柄ノ上部ニ通常ニ腺アリ。四月頃、花ハ通常赤褐色ノ新葉ト共ニ出デ、花軸ノ短キ繖形楾花序ヲ成シテ淡紅白色ノ有梗三五花ヲ着ク。花梗ハ細長ニシテ毛ナク基部ニ小苞ヲ具ヘ長サ2cm許。花軸ハ長サ凡2cm内外ニシテ基部ハ芽鱗ヲ以テ擁セラル。萼ハ五弁平開シ筒部ハ圓柱形ニシテ萼片ト共ニ毛ナシ。花瓣五弁平開シ各片凹頭ヲ有ス。多雄蕋、子房花柱ニ毛ナシ。花後小ナル球形ノ核果ヲ結ビ熟シテ紫黒色ト成リ多汁ナリ。和名山櫻ハ山ニ生ズルさくらノ意、さくらハ其語原判然セザレドモ中ニハ神代時分ノ歌謡中「さきくにさくらん、ほきくにさくらん」ノ語中ヨリ出シモノト謂フ説モアリ。漢名 櫻桃(誤用)
単なる紙製であり図鑑であるが、
牧野富太郎の「観察と描写」という・・・・これはまさに史学でもありドキュメンタリーでもある。この「作業」を一人の人間の仕業とし、僕自身と照り合わせてみたところで、
それはもう人としての僕の日常の振る舞いですら、何たる情けなさけない姿だろうと思わざるを得ない。
「観察」という行為は手間がかかり難しい行いだと思う。決して誰もが安易にその事は出来ないし、やりたがらない。「観察」という一種の体系には行った者しか分からぬ何某かの物事の実体や深層が観え、そこで個々の感受が成立するという経過と一段落があるのだと思う。
欲しい本を買いに・・・
と、そんないつも行く本屋さんには大抵その本は置いていない。
だからAmazon.comで買う。
時として格安な値段で手に入る事もあるので、尚更に一番いい。
そんでもって、「ない ! ない !」と記した、「身体としての書物」。
Amazonにはなかったし、もちろんいつも行く本屋にもなかった。
この本をブログで紹介してくださった三上先生からコメントが入り、
東京外国語大学出版会そのものが立ち上がったばかりで販路も確立していないみたいですね。直接注文しかないかな。
・・・・とのことで、
まずはもう一度“いつも行く本屋さん”へ行き、店員さんに口頭で注文した。
ところが、「こことは取引していないのでお取り寄せは出来ません」と断られてしまった。
そんなバカな話があるか・・・どれだけ面倒なねw とブツブツ文句をタレながら自宅へ帰り、それで個人売は無理かとは思ったが、
ダメモトでその出版元である「東京外国語大学出版会」にe-mailで問い合わせをしてみた。
そしてその返事は予想通り、「個人への直接な販売はしていない」とのことだった。
しかし、その後があり、「ジュンク堂かAmazonで買ってくれ」とリンクが張られていた。
Amazonは前日、前々日と確認済みで、取り扱っている様子がないと思っていたが・・・・
「ん? もしかして・・・」とサイトへ飛び、検索をかけてみると・・・
なんとあったではないか ! しかも在庫が一点。
ジュンク堂の方は、新規メンバー登録がしなくてはいけないので・・面倒い (笑)
・・・と、いう事で、誰かに買われないうちにと、早速Amazonの方で購入した。
Amazon.co.jp - 「身体として書物」
僕が買ったので在庫切れですが、中古でも良いなら一点出品されているようです。
( 二〇〇九年 四月 十七日 現 )
一冊の本をめぐり、そんな「出来事」でした。
僕のブックマークのひとつである、「三上のブログ」。
其の中の2009年4月12日の記事で「書物の翳を愛でる同志として…」と題し紹介されていた、今福龍太 著・「身体としての書物」という本。
「書物論」などというこれまで触れたこともなかった分野だが、三上先生のこの記事で僕はすっかり気になってしまった。それでもニュアンスからすれば何年か前に岩波ジュニア新書の犬養道子 著「本 起源と役割をさぐる」というのを読んだことだけはあった。
今、僕自身は「本居宣長」を課題としてあれこれマイペース(?)で取り組んでいるのだが、その課題から一見して射程範囲外にも思われる。僕は頭が悪いですから、なるべくなら「本居宣長」そのものから脱線したくないと考えている。しかし「書物」と言った場合、やはり宣長さんのやってこられた事も「書物」というキーワードとして考えたら僕の思う射程範囲“外”でもない。
実際、どのような内容かは読んでみないと当然にわからない事だが・・・
そんな事を2日くらい思いつつ、本屋さんやら、Amazon.comやらを探した。
しかし・・・ ない ! みつからない !
◆今福龍太『身体としての書物』東京外国語大学出版会、2009。四六版フランス装、320ページ◆
絶賛発売中! 注文・購入は全国の書店にて。
・・・・と、2009年3月31日にすでに販売となっているのだが、
もしかして、店頭で「注文」というカタチを採らなくてはならないのかな?・・・と、今思った。(笑)
という事は・・・今福龍太 著・「身体として書物」は僕自身が“注文し、手に入れる”という駆動のともに、その身体運動をもってすでにその問題や課題を受諾する事が始まっているのか、・・・「まずはお前自身の『身体』と向き合え」と。
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